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林忠次郎先生は本当に軍医だったのか?(1)

親愛なる皆様方へ

こんにちは。
島根県出雲市斐川町在住のレイキ・マスター、スクマールです。
ご訪問、ありがとうございます。

 

残念ながら、およそ10年前にお亡くなりになりましたが、レイキマスターでもあられた作家の志水 一夫さんは、お元気だったころは「夜帆。@楽利多マスター」のハンドルネームでレイキに関する様々な情報を積極的に発信しておられました。

 

その中のお話によると、志水さんは大正12年生まれのお父さまに、林忠次郎先生は海外では軍医だったと言われているが、どう思うかと質問されたそうです。

 

そうしたら「兵学校出身者が軍医である可能性はまずないと返答されたとおっしゃていました。

 

しかし、どこかでそのように発言したら、「(本当に)そう言い切れるのか?」と問い返されたそうです。

 

そこでmixiのコミュニティ「帝國海軍の歴史」で、メンバーの方にも意見を求めたりもされましたが、参考になるようなコメントは集まりませんでした。

 

 

志水さんがmixiにトピックを作成されてから20年近くなるのですが、現在ネット検索してみますと、「林先生は軍医だった」と断定しているレイキ関連のホームページやブログは多数存在しています。

 
また、志水さんの発言を受けて、過去には林先生軍医説に慎重だった先生方も今では軍医説を容認されているようです。
 
しかし、これらには断定できる根拠の記載は見当たりません。
 
志水さんがとても気にされていた、「林忠次郎先生は本当に軍医だったのか?」という疑問には、わたしも長い間気になっていました。
 

今まではいくつかの状況証拠を勘案し、わたしは「林先生軍医説はまずありえないだろう」という立場でしたが、残念ながらそれを断定するまでの情報には出会いませんでした。

 
が、最近今までの自分の検索方法に欠陥があったことに気づき、再度検索し直して、そこから得られた情報から、幾つかの公的資料を探し林先生のお名前を探したところ、とても苦労しましたが、なんとか見つけることが出来ました。

私が調べた公的資料は、林先生が40歳頃に発行されたものですが、軍医の方には「海軍軍医○○」のような肩書(例えば「海軍軍医大佐」)と記載されていたのですが、林先生には「軍医」は付記されていませんでした。
 
別の資料でも林先生は軍医の方とは別の欄に御名前がありましたので、これらの情報から「林先生は軍医では無かった」と言っていいのではないでしょうか?
 
これを覆すのは、林先生の肩書に海軍軍医の記載がある公的資料だけだと思います。
 
もし、そのような資料をご存じの方がいらっしゃいましたら、どうかご教示ください。よろしくお願いいたします。
                   m(__)m
 
With Reiki Love,

スクマール

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2023/02/25 10:46 | Comments(0) | レイキ関連

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